無題

10/21、ドリフェス!ファイナルライブの武道館公演がありました。
 
その時のとみーの「自分は佐々木純哉ではない」って挨拶、ショックじゃなかった?っていわれるんだけど。
私、ドリフェス!では2次元も3次元も黄色推し、緑推しだけど、2次元と3次元を同じ人物だと思ったことはなかったから、特にとみーの「自分は佐々木純哉ではない」って挨拶もショックではなかった。
 
とみーにはとみーが歩んできた人生があるし、純哉くんには純哉くんが歩んできた人生があるし。
確かにとみーはどこまでも純哉くんだったし、とみーだったからこそ生まれた純哉くんであったんだけど、それと同時にとみーはどこまでも純哉くんではなかった。
そりゃそうだよなと思った。
 
なんだろうなぁ。
単純に推しが4人いる感覚だったんだろうか。確かにアニメから現実の彼らの活動につながっていくストーリーがそこにあって、それを見てすごい!5次元だ!って思うし、めちゃくちゃ感動するんだけど。
でも彼らは同一人物ではなかったんだよなぁ。それこそ7人ではなくて、14人だった。
私自身もドリフェス!の世界でDFシアターに通うモブにはなれなかった。
 
でもそれが悪いことなのか?と思うと、全然思わなくて。
琢矢くんが言っていた、「歌は受け取った人それぞれの解釈の仕方があって、それでいいと思えるようになった」って話と似てるようなもんだと思うんだけど。
2次元だけが好きでも3次元だけが好きでも、両方が好きでも、ドリフェス!のどの面が好きで、どの面が嫌いでもいいんじゃないか?って思った。それも含めてドリフェス!プロジェクトなんだよなと。
5次元って2次元と3次元を完全に同一化させないと見られないもんなのか?
完全に同一化してないとドリフェス!ファン失格ってことになるのか?違くね?
 
2次元のDDと3次元のDDって個人のキャラも立ち位置も 全然違うし、でもそれだからこそ私は好きになった。
彼らが無理に2次に寄せようとしないで、ありのままでDDでいてくれたから、私はどっちのDDも大好きになった。
3次元のライブとかイベント後に、純哉くん達がツイッターでつぶやくじゃん?
なんかな~、私たちが3次元のイベントを楽しんでる間、あっちの世界でもイベントがあったんだなって考えてたのかもしれない。
パラレルワールドみたいな?好きなアイドルユニットが2つある、みたいな。
 
全部のファンが全員全く同じ方向向いてなきゃいけないなんてこと絶対ないと思うし、そもそも無理だろって思う。
それこそ現実にいるアイドルのファンだって、皆考えてること全然違う方向向いてる人たちいっぱいいるじゃん。
私だってドリフェス!の現場で不快な思いしたこと山ほどあるし、きっと私も誰かのこと不快にさせてしまったこと、何かしらあるだろと思うし。
そもそもフォロワーさんとだって、一緒に現場通ってた友人とでさえだって、考え方が違うなって思ったこと何度もあるし。
 
でもそれが普通なんじゃないの?
全部が全部ひっくるめて全部嬉しいなんて人、いないっしょ?
それ全部ひっくるめてドリフェス!で、ついてきた人離れていった人全員がドリフェス!で、好きだったドリフェス!と嫌いだったドリフェス!がある。
それでいいよ。ドリフェス!の全部がひとつ残らず好きだったって言えなくていいよ。
なんか最初と論点が全然違う。文章打ってる途中で他の人のドリフェス作文を読んでしまった。わかりづらくてすみません。
 
とりあえず何が言いたいのかというと、私は佐々木純哉くんが好きで、富田健太郎くんが好きで、ドリフェス!が好きということ。
ドリフェス好きだな~!またいつか復活ライブしてくんねぇかな!